みなみ区民報・ハッピーついーと Vol.3

みなみ区民報のコーナー「高橋ゆうすけのハッピーついーと」の第3回目です。(少し文章を入れ替えています。)

 

こんにちは、高橋ゆうすけです。今回は前回までの趣味とは少し方向を変えて、私の両親のこと(特に今回は母のことを中心)を書きます。

私の父は1942年8月、現在の中国東北部(当時の満州)で生まれました。この当時は当たり前で太平洋戦争まっただ中。父が3歳になる前に終戦となりました。そのことから考えても、よく残留孤児にならずにすんだな、という感じです。(もし残留孤児となっていたら、今ここに私はいないわけですし)

その父は、今もまだ自転車で職場まで通勤することもあり(片道7Kmぐらい)、とても元気に過ごしています。

そして母は1941年11月、高知で生まれました。中学を卒業後、小学校で用務員をしていたものの、身分保証もされなかったため、こんなのはおかしい!と近隣の小中学校の用務員の方たちを集めて労働組合を作ってしまったそうです。

母も元気は元気なのですが、数年前に人工股関節を入れる手術を行い、その後、歩行に支障もあったため、現在は介護保険を利用してデイケアでリハビリに取り組んでいます。(介護保険を利用するための手続き、働きながら申請するのは大変でした。時間もかかりますし。)

デイケアでリハビリを続けているおかげで、歩ける距離も少しずつ伸びています。(が、外出の際には車いすが必要)また、デイケアで出会う人たちとの会話もとても楽しんでいるようで、私が家に帰ると、よく「今日はこんなことがあって」という話をされます。(慌ただしく動いてるときにそういう話をされることも多く、空気読んでくれ、と言ってしまうこともありますが)数年前には夜中、「(足が)痛い、痛い」と叫んでいた母ですが、こうやって今では日々を楽しく過ごせるようになったことは本当に安心しました。

そんな母とはよく政治のことを語っているのですが、母は私が立候補すると聞いたら「いつか来ると思っていた」とあっけらかんとした答え。そして父にも「やりたいようにやれ」と。一番身近な家族に支えられていることに幸せを感じて、頑張る勇気をくれた両親に感謝したいと思います。(なかなか言えませんが(苦笑))