「名古屋市南区」タグアーカイブ

ホームページ始動

ここしばらく、twitterやfacebookでも書いていましたが、ようやくホームページが出来上がりました。

WordPressを利用したサイト構成としたため、今まで作ってきたスタイルとはまったく異なったこともあり、いろいろと操作してなんとか公開にこぎつけました。

(この間、ほとんど説明書などの類は読んでません^^;)

ということで、今後ともよろしくお願いいたします。

みなみ区民報・ハッピーついーと Vol.4

第四回

こんにちは、高橋ゆうすけです。暑い日々が続いていますが、熱中症に気をつけてくださいね。私は最近、シャツの襟に付ける、目立たないタイプの首を冷やすものも売っているのを見つけ、ちょっと嬉しがっています。

今回は話題にしないわけにはいかない「従軍慰安婦」発言について。(この記事を書いているのが少し前なのでネタとしては遅いかもしれませんが)みなさんもご承知の通り、日本維新の会・橋下徹共同代表の「従軍慰安婦は必要だった、誰でもわかる」などの発言が国際問題にまで発展しています。その後、橋下氏は「強制連行にかかわらず、慰安婦を活用していたことは言語道断」などとツイッターで発信をしていましたが、この二つの発言が全く繋がってみえないんですよね(当たり前?)。

そして、「慰安婦問題に対して、不当な侮辱」などと言っていますが、誰も認めることに侮辱などしておらず、逆にしっかりと認めてほしい、賠償をしてほしいということを訴えているだけなのに、どうしてこんな考えになるのか、よくわかりません(これも当たり前?)。 ただ、そんなことで頭を悩ませてもしょうがないので、そうした考えへの批判だけをすることにしますが。

しかしこんな低レベルの事で世間をにぎわせることは「カンシン(寒心)」しますが、維新の会の人権意識というものの「本音」がはっきりと見え、本当に「賞味期限切れ」を起こしたな、という感じでもありました。そういった政党には即刻退場頂いて、みなさんの人権・願いを大切にする日本共産党が躍進するよう、全力で頑張ってまいります。

みなみ区民報・ハッピーついーと Vol.3

みなみ区民報のコーナー「高橋ゆうすけのハッピーついーと」の第3回目です。(少し文章を入れ替えています。)

 

こんにちは、高橋ゆうすけです。今回は前回までの趣味とは少し方向を変えて、私の両親のこと(特に今回は母のことを中心)を書きます。

私の父は1942年8月、現在の中国東北部(当時の満州)で生まれました。この当時は当たり前で太平洋戦争まっただ中。父が3歳になる前に終戦となりました。そのことから考えても、よく残留孤児にならずにすんだな、という感じです。(もし残留孤児となっていたら、今ここに私はいないわけですし)

その父は、今もまだ自転車で職場まで通勤することもあり(片道7Kmぐらい)、とても元気に過ごしています。

そして母は1941年11月、高知で生まれました。中学を卒業後、小学校で用務員をしていたものの、身分保証もされなかったため、こんなのはおかしい!と近隣の小中学校の用務員の方たちを集めて労働組合を作ってしまったそうです。

母も元気は元気なのですが、数年前に人工股関節を入れる手術を行い、その後、歩行に支障もあったため、現在は介護保険を利用してデイケアでリハビリに取り組んでいます。(介護保険を利用するための手続き、働きながら申請するのは大変でした。時間もかかりますし。)

デイケアでリハビリを続けているおかげで、歩ける距離も少しずつ伸びています。(が、外出の際には車いすが必要)また、デイケアで出会う人たちとの会話もとても楽しんでいるようで、私が家に帰ると、よく「今日はこんなことがあって」という話をされます。(慌ただしく動いてるときにそういう話をされることも多く、空気読んでくれ、と言ってしまうこともありますが)数年前には夜中、「(足が)痛い、痛い」と叫んでいた母ですが、こうやって今では日々を楽しく過ごせるようになったことは本当に安心しました。

そんな母とはよく政治のことを語っているのですが、母は私が立候補すると聞いたら「いつか来ると思っていた」とあっけらかんとした答え。そして父にも「やりたいようにやれ」と。一番身近な家族に支えられていることに幸せを感じて、頑張る勇気をくれた両親に感謝したいと思います。(なかなか言えませんが(苦笑))

みなみ区民報

みなみ区民報に載せてもらったシリーズ記事を転載します。

こんにちは、高橋ゆうすけです。今回も前回に引き続き、私の趣味についてつぶやいていきます。

前回は沖縄の楽器「三線」について書きましたが、今回の趣味は「手品」。もともとこの趣味にはまっていったきっかけは意外がられますが、高校現代社会の授業のネタからです。「だまされるのは一体どんな心理からか」ということを簡単に説明するのに手品はとてもわかりやすい手段だったんです。

手品には必ずタネがある、だからそのタネを見破ってやろう!とジーッと見る、その結果全く違うところにタネがあっても気がつかない。そのことがだまされる心理と共通しているんですね。「自分は絶対にだまされない、だまされるはずがない」と思っている人ほど、自分で判断しようとしすぎてしまう、結果だまされてしまうんです。

そんなことを授業でしていくうちに、自分自身が手品の面白さにはまってしまいました。手の中にあるボールが増えたり減ったり、相手が思い浮かべたトランプのカードだけが裏向きになって出てきたり、4枚のハンカチが一枚の大きなハンカチになったり…。とやることがどんどん大きくなってきたこともあって、デイサービスなどでも披露する機会が増えてしまいました(笑)

自分の趣味で喜んでくれる人がいる、というのは自分も楽しくなり本当にうれしいので更にはまっていく、そんなスパイラルにおもいっきりはまっています。でもそういうスパイラルはみんなが笑顔になるからいいかな、と思っています。

今後も色々な事に興味を持って手を出してみたいな、と思っています。もしかしたら新しい趣味を始めました!と、このコーナーで話すかもしれませんが、その時はあきれずにお付き合いください。

名古屋市長選挙・市会議員補欠選挙

4月21日(日)に行われた、名古屋市長選挙および名古屋市会議員補欠選挙(南区・守山区)は、低投票率での選挙になりました。

今回、私自身は、5,682票の得票となりましたが、その1票1票は、切実な要求を持っている方たちが私に願いを託してくださったものです。その願いをしっかりと受け止め、これからも一歩一歩、前に進んでいきます。

今回の選挙においては議員としてその願いを市政に届け、実現することはかないませんでしたが、2年後の選挙では、必ず議席を取り、市政で皆さんの願いを届けられるようにします。

私が今回街頭で訴えた公約は

1・介護を含めた福祉の充実

2・雇用の拡大と中小企業を活かした街づくり

3・災害対策

4・憲法を守り暮らしに生かす

という4つでした。

1番目の福祉の充実、これは、高齢者の問題ではなく、若者の問題でもあることを、自分自身が実感しています。

私の母は数年前に人工股関節置換手術を受け、その手術で麻痺が残り(手術の失敗というわけではなく、母の体型的な問題)、かつ、手の親指も動かないため、現在、デイケアで週3回のリハビリ・介護、そして電動車いすを利用しています。

この介護を受けるための保険料・利用料を見たときに、母の年金だけでは絶対に介護は受けられないことに驚きを感じました。

まだ、母の場合、要介護2ということもあるからか、そこまで大きな出費にはなりませんが、介護の度合いが大きくなればなるほど、家族にかかる負担も大きなものになることは容易に想像がつきます。

しかし、現在の制度では介護を必要とする人が、介護を受けるための経済的余裕がないために介護を受けられない、ということが起こりえます。これで本当に福祉国家といえるのでしょうか?

誰もが必要な時に安心して介護を受けられるように、そのための介護保険であるのに、それが本人だけではなく家族の生活の負担になる、そんなことがあってよいのか、そんな思いがとても強くありました。

そうしたことから、この介護の問題、どうにかして改善をしていきたい、そう考えていました。

もちろん、介護の問題だけではなく、保育所の廃止・民営化や保育料の値上げも、名古屋の経済を停滞させることにつながる問題ですので、廃止・民営化をやめさせるよう、取り組みを進めていきます。(南区においては「南保育園」と「氷室保育園」がその対象)

敬老パスは、公約に掲げていたら、他の陣営も同じことを主張しはじめましたので、しっかりとやってもらうこととしますが。

と、とりあえず、初めてのブログの記事ではありましたが、(選挙前には時間がなさ過ぎてブログの開設ができませんでした。)これからに向けての思いや活動などをできるだけたくさん報告していきます。