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高橋ゆうすけのハッピーついーと Vol.29「政治への思い」

第29回「政治への思い」

 

こんにちは、高橋ゆうすけです。先週は体調を崩してしまってハッピーついーとをお休みしてしまいました。今はしっかりと回復していますので、また元気に頑張っていきます。

さて、今日のテーマは「政治への思い」です。

このハッピーついーとを読んでくださっているみなさんも、政治に対して様々な思いがあるかと思います。「今の政治はおかしい」「誰がやっても同じ」「国民の意見は無視される」など、大体は政治に対する不満を持つ方が多いのではないでしょうか。

私は政治というものに対して、もちろん不満もあります。しかし、私の微力な力でも何かできるのではないか?そういった思いを持ち続けてきました。アピールウォークなどのような主張だけではなく、選挙、署名、そして友人らとの話。それぞれは本当に小さいことではあるけれど、そうした力が集まれば大きなうねりを作りだすことができる!そうした確信を持って過ごしてきました。なかなか目に見えて前進するということは大変なことでしたが、時間はかかってもしっかりと政治は変わるということを経験してきました。

私は、これからもみなさんが安心して暮らせる社会を作るために、政治が本当に住民の要求に基づいたものになるように、がんばっていきます。ただ、一緒に歩んでくれる方が一人でも多くいるとさらに心強いです。「私の力なんて全然ない」といわれる方もいらっしゃいますが、一人ひとりの力は微力ではあっても無力ではありません。ぜひ、政治を変えるために、一緒に歩んでいきましょう!

みなみ区民報・ハッピーついーと Vol.4

第四回

こんにちは、高橋ゆうすけです。暑い日々が続いていますが、熱中症に気をつけてくださいね。私は最近、シャツの襟に付ける、目立たないタイプの首を冷やすものも売っているのを見つけ、ちょっと嬉しがっています。

今回は話題にしないわけにはいかない「従軍慰安婦」発言について。(この記事を書いているのが少し前なのでネタとしては遅いかもしれませんが)みなさんもご承知の通り、日本維新の会・橋下徹共同代表の「従軍慰安婦は必要だった、誰でもわかる」などの発言が国際問題にまで発展しています。その後、橋下氏は「強制連行にかかわらず、慰安婦を活用していたことは言語道断」などとツイッターで発信をしていましたが、この二つの発言が全く繋がってみえないんですよね(当たり前?)。

そして、「慰安婦問題に対して、不当な侮辱」などと言っていますが、誰も認めることに侮辱などしておらず、逆にしっかりと認めてほしい、賠償をしてほしいということを訴えているだけなのに、どうしてこんな考えになるのか、よくわかりません(これも当たり前?)。 ただ、そんなことで頭を悩ませてもしょうがないので、そうした考えへの批判だけをすることにしますが。

しかしこんな低レベルの事で世間をにぎわせることは「カンシン(寒心)」しますが、維新の会の人権意識というものの「本音」がはっきりと見え、本当に「賞味期限切れ」を起こしたな、という感じでもありました。そういった政党には即刻退場頂いて、みなさんの人権・願いを大切にする日本共産党が躍進するよう、全力で頑張ってまいります。

みなみ区民報・ハッピーついーと Vol.3

みなみ区民報のコーナー「高橋ゆうすけのハッピーついーと」の第3回目です。(少し文章を入れ替えています。)

 

こんにちは、高橋ゆうすけです。今回は前回までの趣味とは少し方向を変えて、私の両親のこと(特に今回は母のことを中心)を書きます。

私の父は1942年8月、現在の中国東北部(当時の満州)で生まれました。この当時は当たり前で太平洋戦争まっただ中。父が3歳になる前に終戦となりました。そのことから考えても、よく残留孤児にならずにすんだな、という感じです。(もし残留孤児となっていたら、今ここに私はいないわけですし)

その父は、今もまだ自転車で職場まで通勤することもあり(片道7Kmぐらい)、とても元気に過ごしています。

そして母は1941年11月、高知で生まれました。中学を卒業後、小学校で用務員をしていたものの、身分保証もされなかったため、こんなのはおかしい!と近隣の小中学校の用務員の方たちを集めて労働組合を作ってしまったそうです。

母も元気は元気なのですが、数年前に人工股関節を入れる手術を行い、その後、歩行に支障もあったため、現在は介護保険を利用してデイケアでリハビリに取り組んでいます。(介護保険を利用するための手続き、働きながら申請するのは大変でした。時間もかかりますし。)

デイケアでリハビリを続けているおかげで、歩ける距離も少しずつ伸びています。(が、外出の際には車いすが必要)また、デイケアで出会う人たちとの会話もとても楽しんでいるようで、私が家に帰ると、よく「今日はこんなことがあって」という話をされます。(慌ただしく動いてるときにそういう話をされることも多く、空気読んでくれ、と言ってしまうこともありますが)数年前には夜中、「(足が)痛い、痛い」と叫んでいた母ですが、こうやって今では日々を楽しく過ごせるようになったことは本当に安心しました。

そんな母とはよく政治のことを語っているのですが、母は私が立候補すると聞いたら「いつか来ると思っていた」とあっけらかんとした答え。そして父にも「やりたいようにやれ」と。一番身近な家族に支えられていることに幸せを感じて、頑張る勇気をくれた両親に感謝したいと思います。(なかなか言えませんが(苦笑))

みなみ区民報

みなみ区民報に載せてもらったシリーズ記事を転載します。

こんにちは、高橋ゆうすけです。今回も前回に引き続き、私の趣味についてつぶやいていきます。

前回は沖縄の楽器「三線」について書きましたが、今回の趣味は「手品」。もともとこの趣味にはまっていったきっかけは意外がられますが、高校現代社会の授業のネタからです。「だまされるのは一体どんな心理からか」ということを簡単に説明するのに手品はとてもわかりやすい手段だったんです。

手品には必ずタネがある、だからそのタネを見破ってやろう!とジーッと見る、その結果全く違うところにタネがあっても気がつかない。そのことがだまされる心理と共通しているんですね。「自分は絶対にだまされない、だまされるはずがない」と思っている人ほど、自分で判断しようとしすぎてしまう、結果だまされてしまうんです。

そんなことを授業でしていくうちに、自分自身が手品の面白さにはまってしまいました。手の中にあるボールが増えたり減ったり、相手が思い浮かべたトランプのカードだけが裏向きになって出てきたり、4枚のハンカチが一枚の大きなハンカチになったり…。とやることがどんどん大きくなってきたこともあって、デイサービスなどでも披露する機会が増えてしまいました(笑)

自分の趣味で喜んでくれる人がいる、というのは自分も楽しくなり本当にうれしいので更にはまっていく、そんなスパイラルにおもいっきりはまっています。でもそういうスパイラルはみんなが笑顔になるからいいかな、と思っています。

今後も色々な事に興味を持って手を出してみたいな、と思っています。もしかしたら新しい趣味を始めました!と、このコーナーで話すかもしれませんが、その時はあきれずにお付き合いください。

みなみ区民報にて

5月5日号のみなみ区民報から、「高橋ゆうすけのハッピーついーと」と題して高橋のことを知ってもらおう、とつぶやき…と言っても長かったりしていますが…を連載することになりました。政治に関するものから、趣味やら自分のまわりで起きたことへの感想だったりと、思いつくまま書いているというものです。

とりあえず、第一回の記事を載せます。

 

こんにちは、高橋ゆうすけです。「みなみ区民報」に私のコーナーをつくっていただきました。

このコーナーでは、私「高橋ゆうすけ」が普段どんなことをしているか、どんなことを感じているか、ということを中心に、気ままにつぶやいていきます。

まず第1回目の今回は、選挙のドタバタで自己紹介をする機会もありませんでしたので、改めて自己紹介をしていこうと思います。と言っても堅苦しい自己紹介は抜きにして、趣味の話から。

趣味…私の場合はとてもたくさんあります。三線(サンシン)、ベースギター、カホン、合唱、風景写真撮影、手品などなど…。とにかく興味を持ったことをとにかくしてみる、ということをしていたら趣味の幅が広がりました。(時間もなくなったのでやめてしまいましたが、少年野球(硬式)の審判もしていたこともあります。)

それぞれの趣味について、色々と語りたいことがいっぱいありますが、語っているとそれだけで紙面いっぱい使ってしまいそうですので、今日はその中の一つ、三線について書きます。

この楽器、蛇の皮を張ってある沖縄の楽器ですが、意外と簡単に弾けます。ギターをされている方にはフレットがないから難しく思われるのですが、沖縄音楽は“てーげー”(いい加減)なのが醍醐味。適当に押さえて音がだいたい合ってさえいればそれでいいのです。(もちろんきちんとした流派などはしっかりと弾く必要ありますが。)

そして独学で続けてかれこれ10年ほど。友人の結婚お祝い会で急きょ演奏したこともありました。また、3月までは高校で社会科を教えていましたが、時折三線を授業の中で使うということもしていました。(意外がられますがちゃんと授業に関わるんですよ)

機会があれば、三線の演奏訪問に行けるといいなぁ、と思っています。もし来てほしい、という方がいましたら、気軽に呼んでください。

よろしくお願いします。